2017年11月18日
対馬丸記念館
先日、対馬丸記念館へ行った。
遺族の方の講話を聴いた。
戦後72年を経ても家族を亡くした遺族にとって悲しみが消えることはない。対馬丸の事件で命を落とした人々の「生きた証」を伝えたいとの 思いで対馬丸記念館が設立された。昭和19年8月21日、対馬丸は学童疎開の子どもたちを乗せて那覇港を出発。
翌22日夜、米潜水艦ボーフィング号の魚雷攻撃を受けて、海底に沈められた。乗船者の約8割の人々が海底へと消えてしまった。
生きていた子どもたちを忘れないために展示された遺影や遺品がさまざまな思いを伝えていた。
「ヒーサン、ヤーサン、シカラーサン」の言葉に、当時の子どもたちの心情を思うと涙なくして見学することができなかった。
戦争で被害にあった沖縄が、今後加害の島にならないように平和への想いを伝えることが大事だと感じた。

小学生が作った対馬丸に乗っていた子どもたちの壁画。

復元された、当時の救命胴衣。
遺族の方の講話を聴いた。
戦後72年を経ても家族を亡くした遺族にとって悲しみが消えることはない。対馬丸の事件で命を落とした人々の「生きた証」を伝えたいとの 思いで対馬丸記念館が設立された。昭和19年8月21日、対馬丸は学童疎開の子どもたちを乗せて那覇港を出発。
翌22日夜、米潜水艦ボーフィング号の魚雷攻撃を受けて、海底に沈められた。乗船者の約8割の人々が海底へと消えてしまった。
生きていた子どもたちを忘れないために展示された遺影や遺品がさまざまな思いを伝えていた。
「ヒーサン、ヤーサン、シカラーサン」の言葉に、当時の子どもたちの心情を思うと涙なくして見学することができなかった。
戦争で被害にあった沖縄が、今後加害の島にならないように平和への想いを伝えることが大事だと感じた。

小学生が作った対馬丸に乗っていた子どもたちの壁画。

復元された、当時の救命胴衣。
Posted by おかめちゃん at 13:52│Comments(0)